2010年4月15日木曜日。手術台の上。
バックにはサザンの「いとしのエリー」のオルゴールバージョンが流れている。
思ったよりも明るい手術室。
ドラマに出てくる手術室って暗くて、手術開始に、ピカッとライトがついて・・・
そんなイメージとは全く違った。
手術室担当看護師さんに「はい、では手術台に移ってください」と言われ
私「・・・(えっ???自分で移るの???)」
手術台には、病室から運ばれてきたベッドより自分で移る。
手術着が肌蹴そうになりながら、ベッドから手術台へ
「よいしょ」
手術台は、ただの板って感じで
「こんな細い板で落ちないかしら・・・」(不安)
なんて考えていたら、主治医の先生が、手首をくねくね回しながら(体操をしながら)私を覗き込み
「大丈夫だよ」
もうまな板の上の鯉です。。。
でも、先生の「大丈夫だよ」の一言は、本当に安心できた。
そして、「これで、エイリアンとさよならできる」と思っていると、
麻酔科の先生が、「では、麻酔をしますね」
すぅーと私の意識が無くなった・・・
そして・・・
「清水さん、終わりましたよ」
と声をかけられ、目を覚ました。
・・・終わったんだ・・・これでエイリアンが私の体から取れたんだ・・・
半年前の2009年9月。
甲府市から送られてきた乳がん無料検診クーポンで検診を受けることにした。
今まで検診は受けたことがなかった。
転職して4か月。
それまでは、勤務していた旅行会社で基本健診は受けていた。しかし、会社の体制が変わり、パートは検診が受けられなくなった。そして、転職。
それでなのか、虫の知らせなのか、乳がん検診を受けてみようと思った。
女性は、無料という言葉に弱い。
私も無料だから・・・受けたことないし、受けてみようと思った。
そして集団検診の前日。
自己触診をしてみた。
自己触診っていっても、やり方はわからない。
とりあえず、自分の胸を寝転んで触ってみた。
「あれっ、虫に刺されたのかな?」
左胸の内側の下のほうに、毒虫に刺された時のようなプチンとしたふくらみがあった。
「まさかね。きっと虫に刺されたんだ。」
その日はそのまま寝てしまった。
翌朝。
もう一度触ってみた。・・・やっぱり虫刺されがある。
大丈夫だと思うけど、今日の集団検診で聞いてみよう・・・と思った。
集団検診は、公民館だった。駐車場があまりないところで、とても混んでいた。
出る車を待っていたら、やっと1台駐車場が空いた。
「ラッキー。でも時間ぎりぎりだな・・・」
会場はとても混んでいた。私は34番
問診までの待ち時間も長かった。
「次の方、どうぞ」
やっと、私の番。先生が視触診をした。
「はい、いいですよ」
・・・あれっ、何も言われない・・・やっぱり虫刺されだったんだ。先生も気づかないから・・・
「じゃ、次へ行って」
・・・どうしよう・・・聞こうかな・・・でも虫刺されだったら恥ずかしいし・・・
・・・でも・・・
「あの~これって、しこりっていうんですか・・・?」
聞いてみた。
先生は、「えっ?どこ?」と言いながら、もう一度触診をし直した。
そして、看護師さんに「今日は何?マンモ(マンモグラフィー)?エコー?」と聞き
看護師さんが「マンモです」というと、
先生「じゃ、いいや。次(マンモ)に行って」
そして、私はもうその先生にしこりなのか虫刺されなのか確認もできないまま、マンモへ。
マンモもとても混んでいた。
マンモのできる検診車での検診だった。
・・・マンモって挟まれるので痛いと言われるけど、そんなに痛いのかな・・・
なんて考えていたら順番が来た。
お餅をのばすように胸を引っ張られて、機械に挟まれて、
「はい、息を吸って、止めて」
カシャ!
・・・うん、ちょっと痛いけど、そんなに我慢できない痛みじゃないな・・・
「これで今日は終わりです。結果は1か月後くらいになります」と言われて、初めての検診は終了した。
寝るとき。触ってみた。やっぱり虫刺されがある・・・
翌日の朝。触ってみた。。。やっぱり虫刺されがある・・・
気にしないでいよう・・・忘れようとした。
検診から2週間。触ってみた。・・・やっぱり虫刺されがある。
・・・まだ消えない・・・虫刺され・・・かな・・・
気にしないでいよう・・・・また忘れようとした。
考えないようにした。
検診から3週間。知人で医療の知識のある方に今の状況を聞いてみた。
「結果が届いてからでいいと思うけど、心配なら病院へいったほうがいいよ。でも、違う場合もあるしね・・・」と言ってくれた。
・・・違う場合もある・・・そうだよ・・・気にしすぎかも・・・
検診から約1か月が過ぎた10月中旬のある日、検診結果が届いていた。
『腫瘤、異常はありませんでした』
そう書いてあった。
ホッとした。やっぱり違ったんだ。
そしてそれからさらに1か月が過ぎた11月中旬。
まだ虫刺されはあった。
なんとなく大きくなったような気がした。
・・・腫瘤、異常なしって書いてあったから・・・・
気にしすぎ・・・気にしないようにしよう・・・
そして、検査から3か月が過ぎた年末。
なんとなく大きくなってきている気がする。
・・・でも、腫瘤、異常なしって書いてあったから・・・
検査から4か月が過ぎた1月。
その日たまたま行ったセミナーは、乳がん体験者の話だった。
・・・乳がん・・・か・・・
・・・まさかね・・・腫瘤、異常なしって書いてあったから・・・
その頃には、立っていて服の上から触っても、虫刺されがわかる大きさのふくらみになっていた。
母に聞いてみた。
「なんか、あるんだけど・・・これ、何だと思う?」
母「大丈夫だよ、悪いことを考えているとそうなっちゃうから、気にしないほうがいいんじゃない」
母は、そうやって今まで具合が悪くても、自分に喝を入れながら頑張ってきた人だった。
私も病院嫌いだったので、「そうだ、変なこと思っていちゃいけない。大丈夫」
自分で自分をごまかしていた。
そして2月のある日。
同僚に聞いてみた。その頃には、寝転ぶと浮き出てしまう大きさだった。
服の上から触ってもわかる大きさになっていた。
「えっ、何やってるの!!!早く電話!!こんなの異常だよ!!今すぐこの場で病院に電話して!!!」
同僚に怒られた。
私「えっ・・・だって腫瘤異常なしって書いてあったから・・・」
同僚「何言ってるの!!こんなの異常だから。普通じゃないから・・・」
私「・・・・・」
同僚「今すぐ、電話!」
私は、出産をした病院に電話をした。出産をしたときに、乳腺の専門の科があることは聞いたことがあったから。
私「あの・・・左胸にしこりのようなものがあるのですが・・・診ていただけますか」
病院「では、予約になります。10日後になりますが、この日でよろしいですか」
私「えっ、異常があるけど、直ぐには診ていただけないのですか?・・・」
病院「乳腺は、予約制なので一番早い日で10日後のこの日になります」
私「じゃあ、その日でお願いします」
・・・急に不安になった。
病院って、症状があるのにすぐに診てくれないんだ・・・
大丈夫・・・かな・・・
しこりに気づきながら、半年もほおっておいたのに・・・
不安で、押しつぶされそうになった。
その日の夜、旦那に病院の予約をしたことを話した。
「とりあえず、検査してみるしかないよね」
寝転ぶと、コロンとしたエイリアンが浮き出ていた。
受診の日。
先生に今までの経過を話した。
先生は優しく「いろいろ検査してみようね」と言ってくれた。
明らかに異常であることは、先生にはすぐにわかったはず。
でも、不安そうにしている私には、その場では何も言わなかった。
そしてマンモ、エコーをした。
エコーの技師さんもやさしかった。
丁寧に何度もエコーの映像を撮り、そして
「隣に僕の研究室のようになっている機械があって、とっても性能がいいんだ。もう少し、詳しく調べてみたいので、申し訳ないけど隣の部屋に移ってくれるかな」
それでも私は、もしかしたら違うかもしれない・・・と、思い込もうとしていた。
マンモとエコーの写真を持ち、先生の所へ戻った。
先生は、「そうだね、もう一種類の検査もしよう」と言って、細胞診の検査をした。
麻酔をかけて、太い針を胸に刺し、エコーを見ながらがんの細胞を取った。
「それから、CTとMRIの検査もしようね。予約になるので、検査結果は3週間後になるからね」
・・・えっ、結果が出るまで3週間もかかるの?・・・半年間でこんなに大きくなっちゃったのに、3週間もたって私大丈夫なの?・・・
でも、違うかもしれないし・・・
気が重いまま、その日は帰った・・・。
CTの検査の日。
CTは丸いドーナツのような機械で、体を輪切りにしたような画像が取れる機械だった。
造影剤の注射をし、そのドーナツの輪の中を行ったり来たり2回して終了。
造影剤の副作用で具合が悪くならないかのチェックのため30分その場にいて、異常がないことを確認してから帰っていいと許可が出た。
MRIの検査の日。
うつぶせに寝て、寝転んだ板の穴の開いたところに胸をはめて固定された。
カプセルのようなドームのような機械の中に入り、約30分の検査。
動いてはいけないと言われた。
ダメと言われると、なぜか動きたくなってしまう・・・我慢・・・我慢・・・
さらに、狭い閉塞的なカプセルのような中で、考えなくてもいいようなことが頭をよぎる・・・
・・・このまま爆発とかしないよね・・・・と勝手なことを思い緊張した。
そんなこと考えないようにしようと寝てしまおうと思ったけど・・・
技師さん「では、始めます。何かあったらこれを押してください」と言われた。
そして・・・
キーン、ゴンゴンゴン、キーン、ゴンゴンゴンガーン・・・
すごい大きな音
怖い・・・何が起きているの・・・寝てられない・・・でも怖いから寝ちゃおう・・・
じっとしているだけなのに、30分がとても長くて、とても疲れた・・・
初診からいろいろな検査をした約3週間
毎日毎日、不安だった。
・・・もうこれ以上、大きくならないで・・・
毎日毎日、祈っていた。。。
その頃には、外から触ると卵くらいの大きさになっていた。
そして、結果を聞きに行く日。
名前を呼ばれ、診察室に入ると先生が、「ご家族は来ていますか?」
「はい、主人が・・・」
「じゃあ、一緒に入ってもらって」
「この3週間、いろいろな検査をして不安だったでしょう・・・。検査結果が出たからね。いいことと、悪いことがあります。じゃあ、悪いことから言うね。・・・やはり乳がんでした。でもいいことは、今のところ、転移はなさそう・・・」
そして一通りの治療の説明をしてくれた。
手術は2種類あり、部分切除か全摘出か。
部分切除の場合は、放射線治療をすること。
全摘の場合は、傷が落ち着いた2年後くらいに乳房再建ができること。
薬物療法は、病理検査によりホルモン治療、化学療法(抗がん剤)があること。
また、治療の順番も、先に手術をする方法と、先に抗がん剤でがんを小さくしてから手術をする方法があること。
そして、たぶん今すぐ決められないだろうから、この本を読んで、決めてきてね・・・と言って1冊の冊子をくれた。
でも私は「今一番早く、手術できる日はいつですか。もうこれ以上大きくなるのが不安です」と言って、2週間後の手術の日を予約してもらった。
・・・なんかホッとした・・・これでエイリアンとおさらばできると・・・
その後、看護師さんが手術についての説明をしてくれた。
旦那は待合に先に行っていた。
看護師さんの説明を聞いていたら、自然に涙が流れてきた。
・・・えっ、なんで・・・なんで涙・・・
自分でもよくわからなかった。
・・・泣かない・・・だって、エイリアンとおさらばできることになったから・・・
そう思っていた・・・のに・・・
看護師さんが「大丈夫?」って声をかけてくれた。
やさしい・・・
私「病気とか、入院とかしたことがないんです・・・出産以外は。まして手術なんて・・・」
・・・あれっ、自分でそんな風に思っていたの・・・私、心と体がバラバラになってる・・・
看護師さん「大丈夫ですよ。先生はとても器用で、手術も上手だし傷口がきれいで有名なんですよ」
・・・そうなんだ・・・先生、ダイジョウブ・・・かな
涙、止まりました。
そして、その後、肺活量やら血液検査やらいろいろ手術のための追加の検査をした。
会計が終わったのは15時過ぎ。
駐車場に着いて車に乗ると、旦那が最初に言った言葉は「腹へった。新しくできたラーメン屋さんへ食べに行こう!」
・・・えええっ~・・・私、がんって言われたんですけど・・・
・・・おなかなんて、空いてないんですけど・・・
・・・まず、慰めの言葉じゃないの???・・・
・・・しかも、よくこんな状況で新しいラーメン屋のことなんて考えられるよね・・・
と、思ったけど、
・・・新しいラーメン屋、気になる・・・よし、ラーメン食べてがんに負けないぞ・・・
ラーメン屋に行くことにした。
車が走り出し、その中で、妹に電話をかけた。
私「もしもし、私。今病院からの帰りなんだけど・・・」
妹「えっ?病院、どうしたの?」
私「・・・乳がん・・・・って言われた・・・」
妹「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ・・・・・・・?」
私「父と母には、言わないほうがいいよね・・・・心配するから・・・」
妹「(泣いている)・・・・・だって・・・・そんなこと・・・ちゃんと言ったほうがいいよ・・・」
私「そうかな・・・大丈夫かな・・・」
妹「(しゃくりあげながら)こういうことは・・・ちゃんと・・・言ったほうがいい・・・」
私「・・・わかった。大丈夫だから。・・・ラーメン食べてから、実家に行くから・・・新しくできたラーメン屋さんに行くから・・・気にしないで」
妹「わかった。・・・ラーメン食べて来るんだね。私も実家に行ってるから」
ピッ・カチャ。電話を切った。
妹が泣いてくれたので、なんか冷静に話ができた。
きっと妹の頭の中では、乳がんとラーメンと父と母という言葉が入り交り、きっと混乱しているだろう・・・と思いながら・・・。
そして同僚にも電話した。
やっぱり乳がんだって言われたと。
同僚は、「私の知り合いも何人か乳がんの人いるけどみんな元気だから・・・」と言ってくれた。
乳がん・・・そうだよ。乳がんなんてとっちゃえばいいんだから。
もう、エイリアンは手術で取ることになっちゃったんだから。
大丈夫。
冷静に・・・冷静に・・・落ち着け・・・落ち着け・・・
新しいラーメン屋さんについた。
15時過ぎということもあってガラガラだった。
旦那「何にする?オレはえっと、これにしようかな。おなかすいたな~」
・・・本当にこの人私が「乳がんです」って言われたその言葉聞いてたのかしら??
・・・もしかして、その言葉聞き逃していたんじゃない???
・・・なんでそんなに冷静なのよ・・・(怒)
と、心で思いながら、
悔しいから食べてやる!!がんに負けるものか!!
と、思い直し食べ始めた。
そういえば、二人で食事に行くことなんて子供が生まれてからあったかな・・・なんて思いながら。
それから、ラーメン屋を出て実家までの車の中で、こどもたちには何て言おうか旦那に相談した。
旦那は、「ショックが大きいだろうから、言わないほうがいい」と一言。
私は、そうかな・・・ちゃんと知っていてもらったほうがいいんじゃないかな・・・と思いつつ、旦那の意見に従うことにした。
・・・この人やっぱり聞いていたんだ。先生の話。冷静な旦那をちょっと見直した。
実家に着くと、妹が両親と私の弟に話してくれていた。
だからみんなやさしかった。
私「手術が4月15日なんだけど。その後の治療は、手術をして細胞の検査をしてから決まるんだって。とりあえず、入院の時はこどもたちをお願いしたいんだけど」
両親「大丈夫だよ。今乳がんなんて、結構芸能人も多くなっているし、みんなテレビでてるから。大丈夫だよ。」
そうだよね・・・
芸能人、確かに。何人かいたよな・・・
そういえば何日か前に見た夢の中で415という数字が頭に残っていた。
415・・・・4月15日・・・私予知能力があるのかしら・・・
その日は、早く寝ることにした。
ベッドの中で、
これでエイリアンとおさらばできる。今日からカウントダウンしようと。。。ふぅ・・・
そんなことを考えながら寝た。
今までも朝まで眠れなかったことはなかったが、その日も気が付くと朝だった。
翌日、職場の上司に手術することを告げた。
びっくりしていたが、私は「とりあえず治療については、手術の後決まるので、他の人には乳がんと言わないでほしい」と伝えた。
でも、私が関わるスタッフには言うようにとのことで、いつも一緒のメンバースタッフには伝えた。
そして入院の日。
数日前に、夢の中で407という数字が頭に残った。
病室は 407だった。
やっぱり私予知能力があるんだ!!と思ったが、後にも先にもこの夢が当ったというのはこの2回だけだった。
病室は7人部屋だった。
私と同年代の人はいなかったが、すぐに隣の方が声をかけてくれた。
「どうしたの?私はね膵臓がんでね、でも早く見つかったから。
あなたは?心配しなくても大丈夫だよ」
よかった。話せる人がいて。
「私は乳がんで・・・」
あれっ・・・私自己紹介で「乳がんです」だって・・・
乳がん・・・口にするのいやだな・・・すごく高い山を登った気分。
自己紹介が乳がん・・・私、名前があるのに・・・
でもここは病院だし、ここだけにしたいな・・・
翌日は、目の前の方も声をかけてくれた。
「私も乳がんだけど大丈夫。おととい手術だったんだけど。(すたすた歩いて)ほらもうこんなだから。だから大丈夫だよ」
本当に救われた。母と同世代くらいのお二人に本当に支えられている。
がん友・・・がん仲間・・・がん同士・・・そんな風に思えた。
いよいよ手術当日の朝。隣と目の前のお二人が「大丈夫」を連呼してくれた。
手術室へ行く寸前まで「大丈夫!!」「待ってるからね!!」と言ってくれ、手術室へ向かった。
手術が終わり、朦朧とする意識の中、回復室にいた。
旦那と両親が来てくれた。
「大丈夫だからね」
ホッとした。
しかし、その後機械につながれた中で、腰痛との闘いになった。
・・・私きっともう大丈夫だから、とにかく動きたい・・・腰が痛いよう・・・今何時なんだろう・・・朝までまだ何時間もある・・・早くここから出たいよう・・・
一晩中こんなことを考えていた。
そしてやっと朝が来た。
病室に戻るのに「車いす持ってこようか?」と看護師さんに聞かれたけど、「いいえ、大丈夫です。腰が痛いので歩いて戻ります」と言った。看護師さんが寄り添ってくれながら歩いた。
ヨタヨタ・・・あれっ・・廊下がすごく長く感じる・・・まるでスローモーションで歩いているみたい。
脳と体が別々のよう・・・歩きたいのに足が前に出ない・・・
看護師さん「慌てなくていいよ。全身麻酔だったから、麻酔が抜けてないんだよ。だから転ぶと危ないので、ゆっくりでいいよ」・・・優しい・・・
そして病室に着くと「おかえり!!よかったね~これで悪いところはとっちゃったから大丈夫だよ!!」と隣と目の前のお二人が迎えてくれた。
何度この「大丈夫」という言葉に救われただろう。
本当に、お二人には感謝感謝だった。
あぁよかった。大部屋にして。ひとりじゃなくてよかった。
それから、退院の日まで入院生活は楽しかった。
毎日目の前の方と屋上に行き、外を眺めたり、体操をしたり、隣の方とお話ししたり、心の穴を埋めるかのように、いつも誰かと話しをしていた。
夜寝るときは、「これからどうなるんだろう・・・」という不安もよぎったが、先生がいるから大丈夫と自分に言い聞かせ寝た。
家族もお見舞いに来てくれた。
こどもたちが書いてくれた手紙はお守り代わりにベッドの前の机に飾っておいた。
幼稚園生だった三男は、まだ事情がわからなかったせいか『ベッドすわりたい』『テレビが見たい』とか言いながら、『じゃ帰ろう』と割と切り替えが早く、私が寂しくなるくらいだった。
小学生だった次男は、性格なんだろうがいつも目に涙をためてくれていた。
帰るときも『早く治してね』と優しい言葉をかけてくれ、エレベーターのドアが閉まるまでずーっと見つめてくれていた・・・
中学生だった長男は、部活が忙しくお見舞いには来られなかったが、手紙をくれたことが本当に嬉しかった。
旦那は仕事帰りに毎日来てくれた。それが彼のやさしさなんだと思った。いざというときに人間性が出るのだろうけど、この人と結婚してよかったと思えた。
そして退院の日。
旦那が迎えに来てくれた。
私は「大丈夫」を連呼してくれた同室のお二人と離れるのがとてもさみしかった。
でもまた外来で会いましょうと言って別れた。
その日の夜は実家でもお祝いをしてくれた。
しかし、翌日から心の闘いが始まった・・・。