明日は父の命日
昨年の今日、ちょうど今頃、父は旅だちを始めてしまった。
その日は、何か胸騒ぎがしていた。
数日前から、私の心の中では医療を信じられない気持ちでいっぱいだった・・・
いや、その気持ちは、半年前の入院中、突然危篤になった時から浮上していたかもしれない。
なぜそんなことがおきてしまったのか・・・
おきてしまったこと・・・それは運命だったのかもしれない・・・・でも・・・・
その時は、父は奇跡的に復活し、その後退院できた。
しかし、家に帰ってからも辛そうだった。
そして半年後の再入院。
何かが変だった。でもその違和感は、結局わからずじまいだった・・・
その日の夕方は、父を連れ去ってしまうような夕暮れだった。
人は生まれてから死に向かって生きている。
誰もがいつかは死ぬ。
人生が線香花火と重なる。
静かに火がつき、徐々に華やかな成長期、弾けるような成人期、少しずつ穏やかな老齢期、そして静かに消えていく・・・
最後の最後まで燃え尽きるように、尊い微かな光をなんとか消さないように、できる限り最後の最後までもたせられるように・・・・
父は強くて曲がったことが嫌いで、いつもまっすぐな優しい人だった。
どんなことがあっても諦めなかった。
いろいろなことがあっても、毎回復活していた。
そして、少し前までは、「もし何かあって気を失うことがあったら、叩き起こしてくれ、そうしないとそこで終わりになってしまうから。」と、言っていた。
災害時の対処法が書かれた書面を医療機関からもらってきた時は、「これが命綱だから。すぐ対応できるようにちゃんとしまっておいてくれ」
そう言われた私は、父の命を預かったような気持ちになり、たった1枚の紙がとても重い大切な宝のように感じた。
父は自分の体調が大変なときも、いつも家族のことを考えて心配してくれていた。孫たちもとても可愛がってくれていた。
私が自分のこどもの話をするときも
「大丈夫!こどもたち(父にとっての孫たち)を、信じてやれ‼ みんないいところがいっぱいあるから、そこを伸ばしてやれ‼」
と、言ってくれていた。
素人だから、医療のことはわからない。
でもひとつだけ言えることは、医療者にとっては大勢の中の患者の一人であっても、患者はかけがえのない大切なたったひとつの命であるということ。
最後に寄り添ってくれた看護士さんは、家族の切ない気持ちに寄り添い、旅立つ父の進んでいく状況を段階的に的確にアドバイスしてくれた。
「次はこういう段階に入ります。
一気に進まないように私が少しずつ調整しますね。」
と、言ってくれた。ひとつひとつの処置を丁寧丁寧にしてくれた。
父が1歩1歩進んでいくのかがわかるように、家族が死を受け入れられ、納得いくように説明もしてくれた。
その看護士さんのおかげで、家族は別れの時間を、父のそばでたくさんの思い出と、たくさんの感謝の気持ちを伝えることができた・・・
そしてその段階が進んでいくとともに、家族の気持ちも別れの整理をしていけた・・・
しかし、たまたま別の看護士が来た時、目を疑うようなことが起きた・・・・・・見るからにとても乱暴な処置だった・・・
・・・・・・・・・・・・・・
そして、そのまま父は逝ってしまった・・・・・・
患者やその家族は、命が助かれば医療者に感謝の気持ちをもてるが、そうでなければ・・・
家族の悲しみは癒えない・・・
最後にどれだけ大切にしてくれたか・・・
その患者の人生の幕引きを、尊い命を、家族との別れの時間を、どれだけ大切にしてくれたのか・・・
線香花火の光が最後の最後まで静かにそっと消えていくその瞬間まで・・・・・
1分でも1秒でも長く・・・・・
医療者を責めたいのではない。
数多くの医療者は、家族の気持ちを察してくれていると思うし、そう思いたい。
一方で仕事に慣れてきた若い医療者の方々。
患者の命は物ではない。
亡くなった人は生き返らないのだから。
何十人、何百人、何千人、何万人の患者を診た(看た)としても患者にとってはたったひとつの大切な尊い命だから。
最後の最後まで人として尊い命を大切に扱ってほしいと思う。
そのとても大事なことを忘れないでいてほしいと思う。
でもきっと父はこう言っていると思う。
「良くしてもらったから。悪く言うな。ありがとう」と。
そしてあの日からずっと私たち家族を見守り続けてくれている。。。
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